自己紹介

自分の写真
中高といじめられて6年間を過ごしましたが、なぜか小中高と12年間皆勤賞。(馬鹿) 36才の時、慢性骨髄性白血病が発覚!(驚) 以来、投薬で現在進行ストップ?中の相棒(白血病)と人生歩んでます。身体がダルい日も結構ありますが、心のバロメータがMAXなら大丈夫(多分) だから、人生楽しんで、最後のときは 「楽しかったぜよ」 と親指を立てて棺に納まるのが最終目標!! だから、ウッキウキワクワク探しの旅を進行中。 ちなみに、名前の「天道志」はてんとう虫がお天道様に向かって飛ぶ事からついた名前なので、お天道様に向かって志を大事にしたいと付けました!! 仲間達に支えられて、生きる喜びを楽しんでます。

2011年7月16日土曜日

障がい者⇆健常者

ウッキウキです♪

今日、最近僕がお世話になっている、サッカーチームの監督と助監督と三人で、

僕のサッカー用品、一式を買いにお付き合いいただきました。

このサッカーチームは障がい者と健常者がノーボーダーでやってます。

みんな仲良く、汗をかいてます。

試合ももちろん、混合です。

監督がまたすごい!!

cp(脳性麻痺)のサッカー日本代表だった人なんです。

信念がすごい!!

言葉で伝えきれないです。

今は選手としては、引退してますが、何かを成し遂げた人はオーラが違う!!

別れ際、

年上だけど、てつと呼ばせてもらいます。

俺の事はけいって呼んで下さい。

と!

なんだか、一気に距離が縮まった感じがしました。

僕も、目一杯、身体をいじめて、チームで一番持久力を目指します。

今年40歳、まだまだ若いもんには負けんぞい(笑)

病気なんかに負けてられるか!

自分の限界に挑むって、メッチャ気持ちいい!

闘志とスタミナだけは負けられません。

もっともっと、自分を追い込んで、限界を伸ばします。

自分に負けるな

の精神で!

明日が楽しみだなぁ(*^o^*)

2011年7月15日金曜日

女川町

実は、先月25日、がんセンターの先生主催の被災地ボランティアへ

行ってきました。

石巻市の津波の爪痕で慣れていたつもりでしたが、女川町も凄かった…

ショックでその時はブログにアップ出来なかったのですが、

皆さんにお伝えさせていただきたくて、本日アップします。

その当日、僕は餅つき班に任命されました。

餅つきってめっちゃキツいんです。

本気でやってみて、分かりました。

八臼ついたんですが、手はパンパン、手のひらに豆は出来る。つぶれるで

大変な作業でした。

でもね、本気で取りかかっていると、楽しいんです。

そして、被災者の方々が次々と応援してくれるんです。

すっごい励みになります。

限界を超えた力がみなぎってきます。

そして、被災者の方々の笑顔が眩しいんです。

子供達が元気なんです。いたずら好きなんです。

前の日も石巻市に仕事で行っていて、ほとんど寝ない状態での

出来事だったんですが、眠くならないんです(帰りの高速は、

福島県境から余り記憶がありませんが…事故らないで良かった)

被災者の方々とのふれあいが嬉しいんです。

こちらが癒されるんです。

9月にもありますので、ご興味のある方がいらっしゃいましたら

ご連絡いただければ^^

きっと、人生観が変わりますよ!!

僕は、よっぽどの事が無い限り続けます。宣言します。

その後、多くの小学生が亡くなった大川小へ。

まだ見つかっていない児童が4人いらっしゃるんです。

親からのメッセージが慰霊碑の所に貼ってあるんです。

子供達が好きだったろう、お菓子や飲み物が置いてあるんです。

いたたまれなくなって、ちょっと離れて泣きました。

そして、家族が揃っている事ってめちゃくちゃ幸せなんだな。

と痛感しました。

失われていい命なんてないんだ!!

女川小へ向かう道中、津波の爪痕がそこら中に見えました。

全てが壊滅的でした。

僕は痛感しました。

力なき正義は正義にあらず

と。ちょっと、言い過ぎの感もありますが。

僕が、若いときからもっともっと努力して、力を持っていれば

もっともっと沢山の支援が出来たのに(怒)

孫正義さんのようにです。

僕はもっと力を付けなきゃならない、

でも、出来る事はこれからもさせていただく所存です。

待ってて下さいね。

元気と笑顔を届けさせていただきますから!!

待ってて下さいね。

もっともっと、支援の輪を広げる活動に取り組みますから。

待ってて下さいね。

僕の事を!!

皆さんに幸せと安らぎの時が訪れますように^^

もっともっとお伝えさせていただきたい現状があります。

是非、お話を聞きに来て下さい。

テラルネッサンス

ウッキウキ二連発です♩

本日、テラルネッサンスの個人会員になりました。

http://www.terra-r.jp/

月3,000円でしかありませんが、

鬼丸さんの著書、こうして僕は世界を変える為に一歩を踏み出した

を読ませていただいて、涙が出ました。

ちょっとでもいい、御協力させていただける事はないか?

と思ったら、月会員をポチっていました。

先月の鬼丸さんとのお話の中で

弊社の製品、一商品に付、○○円の寄付金を付けて販売する事に決定しています。

今月中にまとめて、来月からスタートとなります。

一人でも多くの方が助かりますように!!

そして、この活動がもっともっと、世界に広がりますように!!

待ってて下さい!!

世界は、空は繋がってます。僕とみなさんも繋がってます。

失われていい、命なんて無いのですから。

次は、池間さんのアジアチャイルドサポートの個人会員になります。

まだまだ出来る事はきっとある筈です。

あついですね!!

ウッキウキです♩

毎日、暑い日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしですか?

本日、定期検診だったのですが、ドクターからこんな事を言われました。

副作用がキツいみたいなので、薬を変えるリストに入ったよ!

と。

グリベックからタシグナかスプリセル変更可能のようで、

なんあんと、スプリセルを調べてみると、

完治も望める様なんです^^

これは夢か幻なのかと一瞬疑いましたが、事実っぽいです。

しかし、自己免疫力で治そう、断薬してみようと考えていた矢先の

出来事でした。(まだ、白血病細胞が血液中に居る事が確認出来る

検査データも出ているのですが)

まずは、二ヶ月後の定期検診の時に結果が出るらしいので、

それ迄はとりあえずグリベックを飲んでおこうっと!!

スプリセルの副作用も結構キツいらしいので、

一ヶ月は入院しなければならないらしいのですが…

9がつから忙しくなるからどうしようかな(笑)

なんだか、最近いい感じで人生が進んでいるみたい!!

ありがとうございます。

2011年7月13日水曜日

響きました!

おはようございます!

ありがとサンキュー!


昨日のメルマガの最後の言葉

「本当の男泣きというのは、女のために泣くことだ。必ず女のために泣ける男になれ」


これは立教新座中学・高等学校 渡辺憲司校長の言葉です。


問い合わせがありましたので、説明いたします(^_^)


これは3月31日に行われた「卒業感謝礼拝」の最後に渡辺校長が語った言葉です。


余震も収まらぬ3月15日、立教新座高校では卒業式の中止を決定しました。


中止を決断した渡辺校長はHPに「卒業式を中止した立教新座高校3年諸君へ。」と題した文章を掲載しました。


それがツイッターなどで反響を呼び、私も震災直後の混乱の中でそれを読み、

一筋の光明を見た気がしました。



すでに読んだ方も多いと思いますが全文を載せます。

何度読んでもすばらしい文章です。


男気あふれる、人間味あふれる渡辺校長の人柄が伝わってきます。



◆◇◆◇◆◇

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。

 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためでなないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

立教新座中学・高等学校

校長 渡辺憲司


◆◇◆◇◆◇


いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。



いくぞ!健児たちよ!(^O^)/



今日が人生最高の1日になりますように!


◆◇◆◇◆◇

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2011年7月6日水曜日

大好きは嬉しい

【大好きは嬉しい】№680


山元加津子さんの心に響く言葉より…


「かっこちゃん、大好きは嬉しい?」

前に勤めていた学校にいたシュウくんが、ある日突然こんなことを聞いてきました。

私は、「大好きは嬉しいね」と答えたら、今度は「嫌いは悲しい?」って聞くんです。

「そうだね、嫌いは悲しいね」と言ったら、畳み掛けるように「大好きはどうして嬉しいの」って聞いてきました。

私、そんなことはいままで考えたこともなかったので、

「そうだね、どうして嬉しいのかな。もし分かったら教えてね」ってずるいんですけどそう言いました。



カオリちゃんという中学二年の女の子がいました。

言葉を話すことができないお子さんで、笑ったり泣いたりとかいうこともほとんどなくて、いつも教室の隅にぽつんと独り立っていました。

お母さんの連絡帳には以前こんなことが書いてありました。

「…カオリに障害があると分かった日から、一度でいいから私のことを「ママ」と呼んでくれたらとずっと願っていいました。

繁華街で迷子になっても、誰を探すわけでもなくスクランブル交差点のど真ん中で独りぽつんと立っているカオリを見た時、あぁ、この子は私のことを「ママ」となんか絶対呼ばないんだと思いました。

だから、お話するための練習はこの子を苦しめるだけです。

私はカオリがしゃべることはもう夢にも見ないし、少しも望んでいません。

そういう練習をすることは絶対にやめてください」


私はカオリちゃんと一緒にいるうちに彼女のことが大好きになって、放課後にお別れすると、次の日の朝にまた会うのが楽しみでしょうがないくらいになりました。

カオリちゃんも私のことが大好きになってくれたんじゃないかなと思います。

笑ったり泣いたりすることが全然なかったのに、私がそばにいる時はニコニコ笑ってくれるようになって、悲しいときには涙を見せてくれるようにもなったんです。


そんなある日、教卓の隅に無造作に置いてあった分厚い本が、何かの拍子にどさっと床に落ちたんです。

そしたらカオリちゃんがびっくりした顔で目をまんまるにしました。

私は本が落ちちゃったねという意味で「あぁ~あ」って言ったんです。

そしたらカオリちゃんが私の顔をじっーと見つめて、ゆっくり口を開いて「あぁ~あ」って言ったんです。


カオリちゃんがしゃべった!

私はもう本当に嬉しくなって、その場でくるくる回って喜びました。

でも…、私は根が欲張りなんですよね。

「あ」が言えたのなら、「い」も言ってほしいと思ったんです。

ですからカオリちゃんに「い」って言ってみてくれる、と言いました。

カオリちゃんはじっと私の顔を見て、「い」って言ってくれたんです!


もう本当に涙が出るくらい嬉しかったんですけれども…

私すごい欲張りなんですよね。

やっぱりどうしても言ってほしい言葉があって。


「カオリちゃんママって言って」と私は言いました。

カオリちゃんはまた私の顔をじっと見つめて、口に手を当てて「ママ」って言ってくれたんです。


私はすぐにお母さんに電話をして、きょうどうしてもお話したいことがあるので、のちほどお家にお伺いしてもいいですかとお聞きしました。

お家にお訪ねして、私はきょうカオリちゃんがしゃべったことを切り出しました。

それまであんなにニコニコしておられたお母さんの顔がみるみる険しくなっていったんです。


そして怒ったように私を睨(にら)んで「お願いしたはずです」とおっしゃいました。

「私はもうカオリにしゃべってほしいなんてこれっぽっちも思ってないんです。

そういう練習をさせることがどれだけこの子を苦しめるのか、お話したはずです。

信じていたのに残念です」


私は必死になって、「お母さん、そうじゃないんです」って言って、カオリちゃんに向かって「カオリちゃん、お母さんのこと呼んで」ってお願いしたんです。

カオリちゃんは、こんどはお母さんの顔を見て、甘えるように、でもはっきりとした声で呼んでくれたんです、「まぁま」って。


お母さんの目がみるみる涙でいっぱいになって、その涙がポロポロこぼれ落ちていきました。

カオリちゃんをきゅっと抱きしめたお母さんは、「カオリ、ありがとう」って二度繰り返してから、声を上げて泣いておられました。


最初にカオリちゃんと出会った頃、言葉をしゃべってほしくて頑張って働きかけたけど、ちっともしゃべってくれませんでした。

その時はその理由が少しも分からなかった。

私はまだなんの関係もできていないうちから、カオリちゃんに話すように頼んでいました。


「大好きは嬉しい」という言葉は、どうしてもできなかったことも、勇気を出して乗り越えることができたり、あるいは生きていく希望が持てたりする、まさに魔法のような、宝物みたいに大切なものなんだなって、そう感じています。

(5月度致知読者の集いの講演より)

『月刊 致知 8月号』致知出版社



人は感じてしか動かない。

だから、「感動」という言葉がある。

理屈や説教や命令では一歩も動かないのだ。

相手が信頼し、共感し、納得し、そして動き出したくなった時だけ動く。


この人になら、何を話しても、自分をさらけ出しても大丈夫、という信頼を得るには時間がかかる。

どんな人間関係でも、まずお互いの信頼が第一なのだ。


「嫌い」と言われて、近づく人はいない。

信頼の第一歩は「大好き」になること。


「嫌い」は悲しい、「大好き」は嬉しい。




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ウッキウキです♩

メッチャ、感動させていただいたメルマガを紹介させていただきます(^o^)

いつもメルマガありがとうございますm(_ _)m

どーぞ

vol.855[手紙ー親愛なる子どもたちへ]

ゆうです

ワクワクおはようございます♪

いつも読んで頂きありがとうございます☆


読者の森さまより素敵なお話を頂きましたので紹介させていただきます

ありがとうございます☆


行きます!

〜〜〜


「手紙ー親愛なる子どもたちへ」


年老いた私がある日

今までの私と違ったとして

どうか そのままの私のことを理解して欲しい


私が服の上に食べ物をこぼしても

靴ひもを結び忘れてもあなたにいろんな事を教えたように見守って欲しい


あなたと話す時

同じ話を何度も繰り返しても

その結末をどうかさえぎらずにうなづいて欲しい


あなたにせがまれて繰り返し読んだ

絵本のあたたかな結末はいつも同じでも

私の心を平和にしてくれた悲しいことではないんだ


消え去ってゆくように見える私の心へと

励ましのまなざしを向けて欲しい


楽しいひと時に

私が思わず下着を濡らしてしまったりお風呂に入るのを嫌がるときには

思い出して欲しい


あなたを追い回し 何度も着替えさせたり

様々な理由をつけて嫌がるあなたとお風呂に入った

懐かしい日々のことを


悲しいことではないんだ


旅立ちの前の準備をしている私に

祝福の祈りを捧げて欲しい


いずれ歯も弱り

飲み込むことさえも出来なくなるかもしれない

足も衰えて立ち上がることさえ出来なくなったら

あなたが、か弱い足で立ち上がろうと

私に助けを求めたように

よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい


私の姿を見て悲しんだり


自分が無力だと思わないで欲しい

きっと それだけで

それだけで

私には勇気がわいてくるのです


あなたの人生の始まりに

私がしっかりと付き添ったように


私の人生の終わりに

少しだけ 付き添って欲しい


あなたが生まれたことで

私が受けた多くの喜びと

あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい


私の子どもたちへ


愛する子どもたちへ



・・・━━━☆・
今日の1歩
・・・━━━☆・

じーんときました

「あなたに対する変わらぬ愛を」


今日も愛いっぱいで行きましょう♪

*-*-*-*-*-*-

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2011年7月1日金曜日

嘘の真実

ウッキウキです♪

まだ、火曜日の興奮冷めやらぬ状態ですo(^▽^)o

新潟⇔東京は近い!!

そう思うと本当に近く感じちゃいます!

今度、走って行こうかな(笑)

でも、今を一生懸命生きる会で自己紹介で、新潟です。

と答えると、皆さん変態を見るような目付きで、

遠い所から何故、参加を

と、期待通りの質問をいただきました。

なんだか、読み通りの行動で、ニヤリ( ̄▽ ̄)

また参加させていただきます♪───O(≧∇≦)O────♪

では、行きます♪




ちょっといい話『ある病院での物語』志賀内泰弘
月刊紙「プチ紳士からの手紙」に好評連載中の
「ハッピーになる心のレッスン」の著者
中井俊已さん(作家・教育コンサルタント)が、この度、新刊を出されます。
『読むだけで「人生がうまくい く」48の物語』  
中井俊已著(成美文庫 240頁 550円)
です。

今日は、その中から、特別に心に響くお話をひとつ
紹介させていただきます。


------------------------------------------------------------------


見方が変われば、希望が見える。
『ある病院での物語』
 
ある病院に勤めている方から聞いた感動的で温かなお話です。
物事の見方や心の持ち方を変えるために役立つでしょう。


   *   *   *   *


寝たきりで首も動かせない男性が病室に運びこまれたとき、
もうひとりの患者が窓際のベッドに横たわっていました。

お互いに親しくなると、窓際の患者は窓から外をながめて、
外の世界についてくわしい話をしだしました。

「今日はいい天気ですよー。青空にぽっかり雲が浮かんでいます。
 向かいにある公園の桜が咲き始めたところですよ」

別の日には、

「今日は風が強い日ですから、木の葉が揺れて、
 まるでダンスをおどっているようですよー」

などと、寝たきりで首さえ動かせない彼に
語って聞かせてあげたのです。

彼は窓際の男性が語るその光景を想像することで、
毎日毎日、心が慰められました。

そして、自分も外の世界が見えるように
早く病気を治そうと思うのでした。
 
しばらくして、窓際の男性は退院することになりました。
もうひとりの男性は喜びました。

「やった。これで、自分が外の世界を見ることができる。
 これからは、自分が窓の外の世界を見て新入りの患者に話して聞かせてやろう」

看護師にベッドを窓際に移すように頼むと、すぐに聞き入れてくれました。
 
しかし心躍らせて窓の外に目をやった彼は、愕然としました。
窓はコンクリートの壁に面しており、外の世界など何も見えなかったのです。
 
それから彼は考えます。
あの窓際の男性は、いったい何を見ていたのでしょう。
彼の目が見ていたのは灰色の壁でした。

しかし想像の力で、その向こうにあるものを見ようとしていたのです。
そして、ただ天井を見ることしかできず、
いつも辛そうにしているルームメートのために、
自分の思い描いた壁の向こうの世界を話して聞かせてくれていたのです。


   *   *   *   *


同じ壁を見て、ある人はその壁だけを見ます。
別の人はその先にある「希望」を見ます。

状況は同じであっても、見方によって見えるものは違います。
辛い困難な状況にいるとき、物事の暗い面だけを見てしまいがちです。

しかし、希望をもって、少し前向きに、少し積極的な見方をすることによって、
明るい局面を、私たちは見ることができるのです。

そして、見えてきた希望を、まわりの人にも語り、
沈んでいる人を元気づけてあげることもできるでしょう。

「雲の上にはいつも太陽が輝いている」(三浦綾子)

壁の向こうにも、雲の上にも、光は輝いています。
暗い夜の先には、明るい朝が待っています。
希望はいつでも、あるのです。

中井俊已著『読むだけで「人生がうまくいく」48の物語』より


感動ですね!

人を喜ばす為に、嘘をつく。

素敵な嘘ですね!

僕も同じ嘘なら、こんな素敵な嘘をつきたいです。